strangedoll’s diary

メンタルのことと所謂スピリチュアルなことのとっちらかりblog

カウンセリング

私が月一通っているカウンセリングは所謂医療的なカウンセリングではない。

スピリチュアルなカウンセリングである。

もともとベースはあったのだろうが、スピリチュアルが先ではなく続けていくうちにスピリチュアルなところに入っていったといった感じである。

先生との出会いは、以前から通っていたヨガ教室である。

そのころは鬱症状がひどい中発表資料を作ってるような時期で完全に現実逃避のためにヨガ教室に行っていた。そのときいくらか定期的に受講していたクラスのうちひとつを受け持っていた先生が今のカウンセリングの先生である。ヨガにも激しい動きをするアシュタンガからゆったり寝ながらやる陰ヨガまで様々先生によって違いがあるが、先生はゆるめることに重点をおいたヨガをする先生だった。その先生のヨガのクラスを受講したあとは確かにゆるみ、現実に戻るまで多少時間がかかるものだった。また一度だけ、心の底から解放された感じがしたこともあり感動した。そんな状態で通っている中、先生から「大丈夫?」と声をかけられ、聞かれてもないのに色々話し込んでしまったときに名刺を渡されてなんかいろいろやってる人なんだなと認識した。しかししばらくして先生はそのヨガ教室で先生をするのをやめてしまった。

先生の名刺に書いてあったHPを見るようになり、WSをする知らせが書いてあり参加した。鬱々としていた状態であり、何か日常とは違う変化を求めていたと思う。その頃には鬱の薬物治療に入っていたけどそれほど良い状態ではなかった。メンタル的なところもテンション低い方で安定していたし、肉体的にもまだ疲労が残っていたのか重たいまま仕事を続けていた。WSでは丸一日かけて自分の話をしながらフラワーエッセンスとオーラスプレーというのを作った。イマイチ先生の説明がわからないけれども悪いものではない気がした。フラワーエッセンスは継続して飲まないと変化が分からないと言われたけれども、たまにWSに参加するくらいだった。状態が悪いときに救いを求めているような感じだった。そこからしばらくして先生から継続してやってみないかというお誘いがきた。WSでもそうだったのだけれども、じっくり話をすることが救いになっていたことに気付いたので初めてみることにした。

カウンセリングは最初先生含め3人だった。自分のことを話しながらフラワーカードを引き、エッセンスを作っていくのはWSと同じ。一緒にやってる人の話を聞いて、自分の話をしながら、フラワーカードの意味から気づきを得たりする。いつも明確な気づきがあるわけではないが、とても大きな気づきがドーンとくると涙を流しながら話をしていることがたびたびあった。

フラワーエッセンスとはなにか、というと私もよく分からない。花のエネルギー(波動)を閉じ込めた液体と言われてもさっぱり理解できない。波動と聞くと量子物理学と波動がぱっとでてきてしまうのでどうも理解が進まない。フラワーカードには表に花の写真と名前の記載があり裏面にはそれの意味が記載してある。フラワーカードは私はピンときたものをいつも選ぶようにしていて、たまに先生に「どこが気になった?」と聞かれると回答に窮することがある。カードの意味もよくわからないこともあるので先生に解説してもらうのだけどそれすら頭の中に入らないこともある。それでも続けているのは明確な気づきを得て「小さな私」に気付く必要があると思っているからだ。

幼い頃の体験が今の私を作りあげているので、その頃の自分に気付くことは今更ながら自分を見つめなおす作業に必要なことだ。鬱になったのも自分自身を無視し続けていたアラートととらえれば、改善しようと思ったら必然と思えよう。

私は長女として生まれ、2歳年下の妹がいる。妹が生まれた時点で母親の関心を自分に向けさせるためにもがいていた。私は妹の手間がかかるのをみていて必死に大人になろうとしていた。母親と同じ目線に立って母親の視野に入ろうと頑張っていた。些細なところだと割と小さいときからコーヒーを飲み始めるのもそうだし、服飾・ファッションが好きな母親の好みにすべからく同意していた。母親のよき理解者であろうとした。しかしながら、居場所がなかった。妹が成長してくると、妹は文句をすぐ口に出す方でよく母親がそれについて私に愚痴をこぼすようになった。すると私は愚痴を母親に言わないようになった。我慢してもくもくとやるスタイルが定着した。

妹も仲がよいように見えて嫉妬があったり嫌いであったようである(無意識すぎて分からなかった)。妹は楽器を幼少期から現在も続けていてそれについて現在もコンプレックスを感じている。私も楽器を幼少期に声楽、ピアノと通っていたけれど中学受験でやめてしまった。興味があればまたやれば再開すればよかったものを続ける気にならなかった。まったく別のところで勝負しなければ母親の目を引けないと思っていた。だから大学は理転・浪人してまでして理系大学へ進んで今の会社に入った。

いまならそれら自分の頑張りが泥臭くとも愛おしく思える。これらに気付いたときは本当に涙がとまらず話をした。不思議なことにこれらに気付くときはこのカウンセリングのときであって、社内の保健師面談や、社内カウンセラーとの面談ではこうした気づきはほぼない。保健師面談は前回の面談からどういう勤怠だったかのチェックや体調や仕事の負荷の具合のチェックであるし、社内カウンセラーとの面談は心理学的な見地からの面談である(これはこれで有益と思っているのだけれども最近は頻度が少ない)のでそもそも目的は違うのだが。

そんなこんなでフラワーエッセンスとかいうわけのわからないものを使いながらも成果が少しずつでているので相性はいいのだろうと思い現在も継続している。

最初にWSに参加したときに、ここにきた人は本気で変わる気がある人がくると言われたけれども、変わりたい気持ちはあったけどどうなりたいかというのは具体的になかったように思うし、ようやく最近になって兆しが見えてきたかなくらいであるけれども進歩だと思う。